Tuesday, October 31, 2006

ドンマイ (2006/10/30)

小さなミスとかもの忘れとか小生は始終で、年をとったら当たり前と思っています。

昨日も眼鏡の置忘れが余りひどいので、とうとう3個買って各部屋に置くことで解決しました。

ドンマイです。

レイモン・エモスの答えのメールは来ましたか?
正解はもう少し時間をおいてから書きます。

硫黄島{Flags of Our Fathers}見てきました。カナダでも上映されていることと思います。一見の価値ありです。

戦闘シーンは色調をモノトーンに近くしてあっても凄い迫力で、圧倒されました。

戦争に英雄はいるのか、というテーマはかなり重く、描くのに苦労した跡が見えました。

全体の構成にやや難がありましたが、点数をつけたら85~90点でしょう。

イーストウッドが音楽まで担当しているのをみて、びっくり。
あの I’ll Walk Alone のけだるいメロデイーが英雄たちの運命を象徴していて、印象に残りました。

12月9日に第2部「硫黄島からの手紙」が封切られますが、これも期待できそうです。

イーストウッドは「荒野の用心棒」あたりはまったく目立たぬ俳優で、彼が大監督になることを誰が予想したでしょうか。

先日、日本に来たときのインタビューを見ましたが、彼が硫黄島を通じて戦争や日米関係をどう描くかこの映画に答えが隠されているようで、それだけに真剣に見ます。

映画は 日本では60歳以上のシニア-でも1,000円、一般なら1,800円で かなり高いと思いますが、昔から理髪代と同じといわれていましたから、床屋が3,800円くらいする(一部の安い床屋は1,000~1,500円)のをみると 安いのかもしれません。

やはり、テレビで見るより、映画館で看るのはいいものです。

このあとは、また時間を見て送りますが、結構、バタバタしているのでご期待に添えるかどうか。

阿部基治    (06/10/30)

Thursday, October 26, 2006

ジェーンワイアトさん (2006/10/26)

田中さん、井上さんのメールを読みましたが、ジェーン・ワイアットさんをご存知の方は、かなりの映画・テレビ好きの方かシニア-の方でしょうね。

私が彼女を初めて見たのは、戦後直ぐのエリア・カザンの「影なき殺人」だったと思います。
その後の彼女は余り記憶にありませんし、「パパは何でも-」でエミー賞を3回も取ったことはなんとなく覚えていますが、井上さん同様に彼女がそんなに有名人であったことは全く知りませんでした。日本では知名度はいまいちだったと思います。

96歳まで、長寿で良い人生を送られたようで、嬉しい限りです。

日本の女優でも、80歳を過ぎて原節子・高峰秀子・森光子といった方がご存命ですが、森さんはまだ舞台ででんぐり返しをするほど元気です。

こうした主演俳優に比べ、脇役はその存在感がまた違ってきますが、先日亡くなった多々良純さんなどは、あくの強い存在でした。
ファンもかなり偏ったと思います。

私は眠れないときに、よく昔のフランス映画のビデオを見ますが、レイモン・エモス、レイモンコルディの二人を見ると、何故かほっとします。

エモスは痩せた小悪党の感じがなんともいえず、コルデイは小太りでパリ祭の運転手、自由を我等にの没落する経営者が印象に残ります。
フランス映画好きには忘れられない名脇役です。

ところで、このレイモン・エモスがアメリカ映画に出ていたのを、ご存知ですか?

ゲイリー・クーパー主演の映画に出ていたのですが、これをご存知の方は少ないと思います。
クイズのつもりで答えは書きませんが、もし正解者がでたら一杯おごってもいいです。もっとも、日本のしかも東京近辺の方でないと困りますが-。

正解のメールをお待ちします。    (06/10/26)                         

Wednesday, October 25, 2006

硫黄島作戦 (2006/10/23)

前回、硫黄島の事を書きましたが、あの島の防衛戦については、私が以前訪れたぺリリュー島の戦いが、栗林中将にとってかなり参考になったようです。

すなわち、地下に洞窟陣地を作り、ゲリラ的にあちこちの穴から飛び出して敵をかく乱する、そうすれば長期間対抗でき、それが日本本土の防衛にプラスになるーいわゆる時間稼ぎ戦法だったのです。

それともう一つの違いは、栗林中将は上陸してくる敵を水際で撃退する作戦を止め、一旦上陸させてから攻撃する作戦に切り替えたのです。
これは本土の陸軍軍令部あたりは大反対したようですが、要は黙って敵を上陸させてしまうのです。

水際撃退作戦はこちらの砲の位置を知られ、事前に爆撃と艦砲射撃で全滅させられるとの考えから、じっと我慢して、大半が上陸してから一気に集中攻撃を開始することにしたのですが、擂鉢山の一部の砲が待ちきれずに打ってしまい、直ぐに攻撃されてそこが全滅したため、その後の作戦に狂いが生じたといわれています。

この作戦は沖縄でも用いられていますが、アメリカ軍は容易に上陸できることをかなり不審に思ったそうです。

こうして、水際で余計な損害を出さずに兵器を温存し、地下にもぐって戦い、硫黄島はぺリリュー島と同様に一ヶ月以上の長期戦が出来たのです。

この他に、硫黄島ではベルリンオリンピックの馬術で優勝した西中佐が
戦車隊の隊長として戦死しています。
アメリカ軍は西中佐がいるのを知っていて、盛んに「降伏しろ、バロン西を殺すに忍びない」と呼びかけたそうですが、西は姿をあらわさなかったそうです。
栗林も西も、遺体は確認されていません。

こうしたドラマは戦時中には数限りなくあったでしょうが、こうして本来生きられた人たちが、戦争という名のもとで死んでいくことに、私は耐え切れません。
私の身内では幸いにも亡くなったものはシベリアに抑留された叔父一名だけでしたが、それでも、叔母が引揚船が着くたびに、舞鶴へ行っていたことを思い出します。

映画「硫黄島」を見たら感想を書きます。

阿部基治    (06/10/23)

Monday, October 23, 2006

硫黄島の戦い (2006/10/22)

貴兄が「ワールド・トレード・センター」を見た と前回のメールにありましたが、小生、どうも9.11を再度見たいとも思えず、今上映中ですが見送ります。

貴兄も感じられているように、僅か2発の爆弾で20万人を殺した広島・長崎に比べると、9.11など 大人と赤ん坊くらいの違いです。

それを大騒ぎするなら、何故、アメリカの政治家は 日本に来て、広島・長崎の原爆資料館を見に行かないのか、不思議です。

先日のライス国務長官くらいは行ってくれるかと思ったら なんと24時間も日本には居らず、即出国。

それにしても、何故、原爆を実験的に落とすのに 大都市を狙ったのか?

イエロー・モンキーならどこでもいいや、という感覚にしか 日本人には思えません。 ドイツなら落とさなかったというのが、通常の一般論です。

日本は真珠湾を攻撃したときも、フィリッピンのクラーク基地・有名なコロンボの爆撃にしても、爆弾は軍事基地だけで 民間の家々には一発も落としていません。

都市の無差別爆撃は、1944年 英国空軍の ドイツ・ドレスデン爆撃が最初といわれていますが、戦後のドレスデンでの慰霊祭には 英国のヴィクトリア女王が訪れ、謝罪しています。

アメリカは謝罪どころか、エノラ・ゲイを飾っても 広島の原爆のことには全く触れていないというのだから、あきれます。 在郷軍人会の反対とのことですが、いったい何を考えているのか!

もっとも、アメリカ人全員がこれと同じ感覚だとは思えませんし、思いたくもありません。

その意味を含めて、クリント・イーストウッドの「硫黄島」2部作が今月と12月に封切られるので、今はこの映画に関心大です。 先日始まった東京の国際映画祭の プレミア・ショーは この作品でした。

第1部の原作、ジェームズ・ブラッドリーの 「父親たちの星条旗」を是非読みたいと、図書館に行ったら、今月の発売で、まだ入っていませんでした。
映画が先行して、原作の翻訳が後になったようです。

第2部の 日本側から見た硫黄島は 「家族からの手紙」は 司令官栗林忠道中将の家族との手紙のやり取りからヒントを得たようですが、上坂冬子の 「硫黄島いまだ玉砕せず」をはじめ、何冊かの本で この栗林中将と妻子との間の手紙を読みました。

ここで内容を書くと 映画の興味が薄れるので 書きませんが、あの地下要塞を 短期間に作り上げ、5日で占領すると豪語していたアメリカ海兵隊を 一ヶ月以上釘づけにした 猛将栗林中将の 家庭に対する愛情の深さに驚いたものでした。 栗林中将は、戦前、アメリカにも駐在したことがあり、そのときの家族との手紙も素晴らしい内容です。

信じられないのですが、サイパンを取られ 制空権・制海権はほとんど無かったはずなのに、何回も手紙が硫黄島に送られ、返事がきているのです。

サイパンの後、最後の砦になった硫黄島に 日本軍も 薬や弾薬を送るため、必死に飛行機を飛ばしたのでしょうか。

全島、地下から硫黄が噴き出し、食料より水が無くて大変な島。 今も東京都は 居住許可を出していません。 滞在しているのは、自衛隊だけです。
                                       
戦後、60年を過ぎても 戦争は我々の脳裏から離れません。

クリント・イーストウッドが どんな観点から戦争を捉えたのか、封切りが楽しみです。

(06/10/22)

Saturday, October 21, 2006

正義はあるのか (2006/10/19)

「日ソ共同宣言」から50年、モスクワでもいろいろな行事がおこなわれたようですが、北方4島が帰ってくる見通しは全くありません。

それどころか、ルシコフ・モスクワ市長は「日本人の大多数はロシアを嫌っている」とそんな国に領土など渡せるかという発言。
「日本が歩み寄ることは可能」とまで言うのですから、盗人たけだけしい、を通り越しています。

幕末、プチャーチンが来て日露和親条約を結んだときでも、樺太の領地問題でロシア人が行ったこともないのに樺太はロシアのもの、と主張していました。
そして、日清戦争の後も例の遼東半島に対する三国干渉で、ドイツ、フランスとともに日本に干渉。
要は、不凍港が欲しくて領土拡大を図ったのは、長年のロシアの政策だったわけです。そんなことは全部見抜かれているのに。
日露戦争もその遼東半島のおかげで始まりました。

あの大東亜戦争末期、勝手に日ソ不可侵条約を破棄して満州、樺太に攻め込み、8月15日の後も「戦争終結の条約は結んでいない」と千島列島を占領、兵隊、民間人の数十万人を連れ去り、ロシアで重労働に従事させ、その1割を死亡させたーー。

こんな非道なことを平気でやれるロシアを、日本だけでなく世界の国々が何も言わない、のもおかしな話です。

日本政府だけでなく、アメリカも何もいえないのはヤルタ会談でルーズベルトとスターリンの間に、「ドイツが片付いたらロシアは日本を攻める」との密約があったせいと言われていますが、世界中がこのロシアという国がどうしようもない国だと思っているのでしょう。

よく、ロシア人は一人一人はみんな好い人なのだが、「国」となると悪くなるといいます。本当にそうなのか私は疑問符をつけますが、皆さんはどうお考えですか?

崩壊したとはいえ共産主義体制、ほとんどが極寒の地という地理的な問題、寒さのためウオッカを飲みすぎ男は50歳台の寿命、こうした要因が
ロシアの人間形成に大きく影響していると思われますが-。

あの4島が返れば、漁場もかなり広くなり、日本にとっては大きなメリットなのですが、どうも相手が悪過ぎます。
今の害務省では交渉は全く出来ないでしょう。
世の中、やはり、悪いやつほどよく眠る、なのでしょうか。

戦後60年、日本がロシアに占領されなくてよかったという思いしかありません。
                                             
(06/10/19)

企業イメージ (2006/10/19)

企業の悪口を書くのは余り好きではありませんし、したくありません。しかも相手が日本企業だと筆も鈍りますが、今回のPC用電池についてのSONYの対応は日本中、がっかり、びっくりしたのではないでしょうか。

最初の不良電池発見の段階で、どうして正確、精密な検査をしなかったのか、しかも、回収措置の遅れは、正にSONYの名を、そして日本製品の信頼性をゆるがせました。

税引き後利益が500億減る予想が新聞に出ていますが、そんな程度で済めば安いものです。
小生は、以前、ベータのテープのときにも苦汁をなめさせられていますので、今回の発表でSONY製品の購入を手控えようかと思い始めました。

それくらい、不良製品が出たときの企業のあり方は大切だと思います。

三菱自動車がリコール隠しを続けて、今も売上げは元に戻らず、周囲にも三菱の車は買わない、という人がたくさんいます。

これら一連の不祥事を見ていると、本質的には教育の問題にまでいくのではないかと思います。
悪いことを悪いと認めず、自分さえよければいいというような考えは、以前の教育にはありませんでした。古い話で恐縮ですが、仁、義、礼、智、信が主体でしたが、その効果はあったと思います。

団塊の世代くらいからいつか自分だけ、の考えが前に出てきて、現在はその考えが全てになっていますが、この教育が学校だけでなく、家庭でも行なわれ、遂に日本人の美徳が大きく損なわれる事態に立ち至ったように感じます。
日本人が優秀なのは学力の高さでなく、道徳の高さにあると小生は思っていました。

悪化の元は、日教組が悪いだけでなく、家庭が教育を放棄し、学校任せにしたことが大きな原因でしょう。

拝金主義といい、不良品隠しといい、だんだん人間が悪くなっていくのに何か慄然とします。
悪いやつほど良く眠ることは、未来永劫続くかと思うと情けなくなります。
(06/10/19)

Wednesday, October 18, 2006

休載残念 (2006/10/18)

「休載残念」

井上氏の秘書が倒れられたようで、休載になり、残念です。

病状が、少しでも軽いことを祈るばかり、ただ左だということなので、女性は左脳の方が軽いと聞いたことがあるので それだけを信じています。

井上氏には この機会に、自分でメールを打つことを お薦めしたいと思います。 先日お会いしたときも、たまたまその話をしたのですがー。

自分でやると、それを実行している人のことも良く判り、一石二鳥だと思います。

小生も 勿論 最初からメールを打てたわけではなく、見よう見まねでやっているうちに 一通りのことは相手に伝えられるようになりました。

でも、未だに このメールに 絵文字や記号を入れる方法が判りません。

パソコンの本は厚くて読めず、教えてくれる授業料を出すのが けちで嫌なので、パソコンスクールは行かず、全部自己流です。

小生、頭を下げられない性格なのか、周囲の人に恵まれなかったのか、なぜだか判りませんが、放送作家になったときも 誰も師匠はなし、自分で書いた原稿を局を持ち歩いて、やっとNHKでひろってもらったのが、初めでした。

放送作家になって 直ぐに、名和晴朗さんという 「お笑い三人組」を書いておられた方に 弟子にしてくださいとお願いに行ったら、「貴方はもう書いたものが放送されているのだから、プロです。 弟子には出来ません」 と断られ 以来、自己流。

会社を作るときも、行政書士に頼むと多額のお金がかかるので、980円の本を買ったきて 有限会社を 自分で文書を作り、設立し、解散するときも 市役所の法律相談室へ行って 解散手続を教えてもらって、とうとう、全部、ただでやってしまいました。

教えてくれた行政書士が 「これ以上教えると 飯の食いッぱぐれになる」と 笑っていましたが、これだけで何十万か得したはずです。

本を書いたときも 勿論一人、吉村昭さんの本が手本です。

今は、ルパンの会というのに入っていて、山本祐司氏に手ほどきを受けていますが、それも1冊目の本を出した後からです。 山本先生も 小生にはほとんど何も言いません。

車の車検を自分で取ったのは もう、二十数年前からの話で、車体検査がこんな簡単に行なわれていてのか、とびっくりしました。

検査時間は 十分足らず、検査しているそのときに、ライトがきちんとツキ、改造がされておらず、ブレーキが利き、排ガスが基準値内で、メータが誤差10%以内なら、OKです。

業者が 車検を通すため といって いろいろ整備して 金を取るのにあきれます。

車についている取扱説明書に 部品の交換時期が書いてありますから、車検の前に その部品だけ業者に頼むか 自分で交換し、そのあと車検を受ければ 一番安く上がります。 ブレーキなど安全にかかわる大事な部品だけ、業者に任せるのが コツです。

最近の車は ほとんどいじれるところが少なくなって、余り面白くありませんが、日本の高い車検費用を 馬鹿らしく思っておられる方は、お試しください。

どんなことにせよ、人間がやっていることは 人間ならやれる、と思って 小生 色々なことに手を出してきましたが、こんなやり方もあると思ってください。

今日は、井上氏の原稿がないと 貴兄が困っているのではないか、枯れ木も山のにぎわい、と無理して つまらない話を長々と書きました。

もう少しツマル話を書きたかったのですが、ごめんなさい。

昨日、ALOHAさんと会い、2時間ほど 中東のことを含め、いい話を聞かせてもらいました。 彼の論説はユニークで 面白いです。

今朝、ALOHAさんにも 「このごろ」に、是非、投稿するよう お願いしておきました。

連日の秋晴れで、さわやかないい気分です。

仕事では最悪気分でしたが 今、精神状態が上昇気味なので、良くなったらもう少しいいものを送ります。

阿部基治   (06/10/18)

Saturday, October 14, 2006

ブログの感想有難うございました (2006/10/14)

中谷 剛 様

ポーランドは「黄金の秋」だそうで、やはり紅葉がきれいなことと思います。 もっとも、木の種類が大分違うように見え、針葉樹が多かった記憶があります。

ところで、ブログをお読みいただき、有難うございました。

一見の対象に アウシュヴィッツとリオのカーニヴァルを並べたので、皆さん一様に、異様な感じを受けられるようですが、本当にそうなのです。

アウシュヴィッツをテレビや雑誌で見て読んでも、あの重い事実をはっきり認識するのが難しいように、リオも行ってみなければ判りません。

テレビで あのサンバの音楽と踊りで こんなものかと思ってみんな行くのですが、あのサンバの強烈な音、ヴォリューム そして1チームが3千から4千人もいるサンバチームの踊りは 見る者を圧倒します。 一晩に三万や四万人が全体で あのチームに参加しているのです。

あの皆が踊っている大きな山車を 後ろから黙々と押しているだけで、踊りに参加できない人も 何百人いや何千かも、もいるのです。

そのため、1年間稼いだお金を 惜しみなくそのチームに注ぎ込み、1チーム僅か1時間足らずのパレードに参加するのです。

ここには全く想像を絶する人間の遊び、快楽と言うと語弊がありますが、生きていることの楽しみ方の典型が見られるのです。

そうした意味で、この二つをあげてみたのです。

もし、機会があれば、中谷さんも リオのカーニヴァルへ行かれる事をお薦めします。 唖然とするほどの凄さです。

全く違う人間の顔が、そこに見えるはずです。

あのブログは 実は私が作ったのではなく、学校時代の友人がカナダに移住していて 「カナダこのごろ」というメルマガを作っているのですが、私もときどきそこへ投稿しているのです。

その関係で アウシュヴィッツの事を書いたら、是非多くの人に読ませたいからと わざわざブログを作ってくれたのです。

重松という男で、イギリス、カナダのBBC,CBCで日本語放送を担当していた男です。
私と同様、もう引退して 今はこの「カナダこのごろ」に専念しています。

もし、時間があったら、覗いてみてください。
www.members.shaw.ca/canadakonogoro
無料メルマガ配信に登録すれば、無料で配信してくれます。
そのアドレスはページの最後に載っています。

このブログを含め、今まであちこちに書いてきたことをまとめて 次の本にするつもりですが、いろいろ事情もあって 中々書けません。

寒い中大変なお仕事ですが、一人でも多くの方に あの博物館の意義を理解していただくため、ご活躍を期待しています。
            
                阿部 基治拝 (06/10/14)

Thursday, October 05, 2006

アウシュヴィッツとカナダ (2006/10/04)

アウシュヴィッツとカナダは 一見何にも関係が無いように思われるでしょうが、凄いことに アウシュヴィッツの中に 信じられないでしょうが、「カナダ」と呼ばれていたところがあったのです。

アウシュヴィッツに送りこまれた人達の 財産、金品を SS(ナチス親衛隊)が全部、取り上げたことは 前に書きましたが、その没収財産の 一時保管倉庫が 「カナダ」と呼ばれていたのです。

なぜ、この倉庫が 「カナダ」と呼ばれていたかというと、裕福な国、ということだったそうです。

SSも「カナダ」と呼ぶようになったということなので、最初は 収容者がそう呼ぶようになった と思われます。

1945年1月20日と 26日に 大量殺人の証拠隠滅のため、SSは この倉庫(アウシュヴィッツ第1とビルケナウの2ヶ所にあった)に放火しましたが、全部はとても燃やしきれませんでした。

残された物は、ソ連の調査団の報告だと 以下のとうりです。

 男性用衣服    24万6820着
 女性用       83万6225着
 子供用       11万5063着
 男性用靴   3万8000足(ただし靴底なし)
 女性用       5525足
 眼鏡          1万2921個
 かばん           3162個
 ブラシ         4万9865個
その他、ナイフ、スプーン、はさみ、鏡、洗濯石鹸、布団絨毯など物凄い数です。

焼けたものを加えたら、想像を絶する数になると思われます。

これが「カナダ」に一時保管されていたもので、もちろんここから発送されていったものは別で、資料でも1944年の年末の37日間に 116本の貨物列車が 動員された記録が残っています。
全部でどれだけあったか、全く想像できません。

カナダが1940年代でも、裕福だと思われていたことに、カナダの人々は 複雑な気持ちを持っておられるのではないでしょうか。

なお、アウシュヴィッツのことを知るには、素晴らしい本があります。

中谷 剛 著 「アウシュヴィッツ博物館案内」
         凱風社  2005年5月出版

昨年、アウシュヴィッツを訪れた日本人は 約7千人、韓国の3分の1、世界では20番目に近い数字です。
地元ポーランドを除くと、アメリカ、ドイツ、イタリヤの順です。

どうしてもアウシュヴィッツまで行かれない方は この本の一読を薦めます。

ポーランドの歴史から、ユダヤ民(中谷氏はユダヤ人という人種は無いのでこう呼んでいます)の歴史、収容者の証言、教科書問題など 幅広く書かれていますので、大変、勉強になります。

最近の銃乱射を初め、いろいろな事件を見ていると、このアウシュヴィッツを作り、ホロ-コーストを実行した人間の残虐性は 60年以上経っても ちっとも変っていない気がします。

残念ですが、人間は この程度の動物なのでしょうか?

阿部基治 abemotoharu.blogspot.com (06/10/04)