硫黄島作戦 (2006/10/23)
前回、硫黄島の事を書きましたが、あの島の防衛戦については、私が以前訪れたぺリリュー島の戦いが、栗林中将にとってかなり参考になったようです。
すなわち、地下に洞窟陣地を作り、ゲリラ的にあちこちの穴から飛び出して敵をかく乱する、そうすれば長期間対抗でき、それが日本本土の防衛にプラスになるーいわゆる時間稼ぎ戦法だったのです。
それともう一つの違いは、栗林中将は上陸してくる敵を水際で撃退する作戦を止め、一旦上陸させてから攻撃する作戦に切り替えたのです。
これは本土の陸軍軍令部あたりは大反対したようですが、要は黙って敵を上陸させてしまうのです。
水際撃退作戦はこちらの砲の位置を知られ、事前に爆撃と艦砲射撃で全滅させられるとの考えから、じっと我慢して、大半が上陸してから一気に集中攻撃を開始することにしたのですが、擂鉢山の一部の砲が待ちきれずに打ってしまい、直ぐに攻撃されてそこが全滅したため、その後の作戦に狂いが生じたといわれています。
この作戦は沖縄でも用いられていますが、アメリカ軍は容易に上陸できることをかなり不審に思ったそうです。
こうして、水際で余計な損害を出さずに兵器を温存し、地下にもぐって戦い、硫黄島はぺリリュー島と同様に一ヶ月以上の長期戦が出来たのです。
この他に、硫黄島ではベルリンオリンピックの馬術で優勝した西中佐が
戦車隊の隊長として戦死しています。
アメリカ軍は西中佐がいるのを知っていて、盛んに「降伏しろ、バロン西を殺すに忍びない」と呼びかけたそうですが、西は姿をあらわさなかったそうです。
栗林も西も、遺体は確認されていません。
こうしたドラマは戦時中には数限りなくあったでしょうが、こうして本来生きられた人たちが、戦争という名のもとで死んでいくことに、私は耐え切れません。
私の身内では幸いにも亡くなったものはシベリアに抑留された叔父一名だけでしたが、それでも、叔母が引揚船が着くたびに、舞鶴へ行っていたことを思い出します。
映画「硫黄島」を見たら感想を書きます。
阿部基治 (06/10/23)
すなわち、地下に洞窟陣地を作り、ゲリラ的にあちこちの穴から飛び出して敵をかく乱する、そうすれば長期間対抗でき、それが日本本土の防衛にプラスになるーいわゆる時間稼ぎ戦法だったのです。
それともう一つの違いは、栗林中将は上陸してくる敵を水際で撃退する作戦を止め、一旦上陸させてから攻撃する作戦に切り替えたのです。
これは本土の陸軍軍令部あたりは大反対したようですが、要は黙って敵を上陸させてしまうのです。
水際撃退作戦はこちらの砲の位置を知られ、事前に爆撃と艦砲射撃で全滅させられるとの考えから、じっと我慢して、大半が上陸してから一気に集中攻撃を開始することにしたのですが、擂鉢山の一部の砲が待ちきれずに打ってしまい、直ぐに攻撃されてそこが全滅したため、その後の作戦に狂いが生じたといわれています。
この作戦は沖縄でも用いられていますが、アメリカ軍は容易に上陸できることをかなり不審に思ったそうです。
こうして、水際で余計な損害を出さずに兵器を温存し、地下にもぐって戦い、硫黄島はぺリリュー島と同様に一ヶ月以上の長期戦が出来たのです。
この他に、硫黄島ではベルリンオリンピックの馬術で優勝した西中佐が
戦車隊の隊長として戦死しています。
アメリカ軍は西中佐がいるのを知っていて、盛んに「降伏しろ、バロン西を殺すに忍びない」と呼びかけたそうですが、西は姿をあらわさなかったそうです。
栗林も西も、遺体は確認されていません。
こうしたドラマは戦時中には数限りなくあったでしょうが、こうして本来生きられた人たちが、戦争という名のもとで死んでいくことに、私は耐え切れません。
私の身内では幸いにも亡くなったものはシベリアに抑留された叔父一名だけでしたが、それでも、叔母が引揚船が着くたびに、舞鶴へ行っていたことを思い出します。
映画「硫黄島」を見たら感想を書きます。
阿部基治 (06/10/23)
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