情けない世の中
平成20年2月21日
情けない世の中
阿部基冶
拙文をメルマガに載せていただき、有難うございます。載ると思っていなかったので、載ってからあわてて、その2を書きました。そうしないと、淵田の戦後の改心した、もっともらしい、良さそうなところだけ書いた形になってしまうからです。
小生は戦前に生まれた一員として、少しは戦争を空襲・機銃射撃・勤労動員や2度の戦災、物資特に食糧難という形で体験したので、後世にというか若い人に戦争の悲惨さ、政治家や軍人の独断・ひどさなどを伝える義務があると思い、明治から現代への近代史の本を、実録を含め読み、時々貴兄にも書かせてもらっていますが、小生なりに、日本人はひどくなってきた、特に、昭和になってからはひどいと思っています。
特攻隊を送り出して生き延びた将軍も、一人や二人ではありません。インパールで10万人を無駄死にさせた牟田口蓮也、フィリッピンで特攻空軍を残して台湾に逃げた富永恭次、ともに陸軍のダメ将軍は、やはり戦後謝りもせずに生き延びています。
東條の自殺未遂も噴飯ものでした。
捕虜になるなと教えた本人が、自殺の方法も知らなかった!!
当時中学生の我々ですら、銃口を口にくわえれれば完全に死ねると知っていました。
海軍も特攻の発案者の一人、大西滝次郎は自決したからまだしも、同じ発案者の宇垣纏は終戦の詔勅の下りた後、8月15日の午後、部下30人近くを連れて最後の特攻で沖縄に突っ込んだのは有名ですから、ご存知でしょう。
航空出身なのですから、自分ひとりで操縦して行けばいいものを、3人乗りの天山艦攻を使ったため、死ななくてもいい部下を最後まで殺しました。
途中で機体の不良で不時着して助かったものが何人かいたのと、宇垣を初め、米軍に突っ込んだのが一人もいなかったのが、不幸中の幸い。もし、これで被害が出ていたら大問題になっていた可能性があります。
嶋田繁太郎にしても、開戦時の海軍大臣の責任を考えたら引込むべきなのにおめおめと生き延び、海上自衛隊に祝辞を述べに行ったというのですから、呆れるほかありません。
小生の調べでは、特攻機は海軍・1,298、陸軍1,185、計2,483
体当たり機数 244 至近弾となった機数 166 被害を与えた艦船数 358 奏功率 16.5% という惨憺たる結果です。
シナ事変から大東亜戦争までの310万人という死者(軍人230万民間80万)に比べたら、人数は数千人ですが、彼らは「必らず死ね」だったのです。
数々の本や、身内で戦地からなんとか帰国できたものから聞くと、戦場では食料と水の不足から、仲間の日本兵を殺して水や食料を奪うものが多く、敵兵より味方に気を使ったと言っています。
陸軍の戦死者の70%は、飢えからと言われていますから、この話は嘘とは思われません。
「輜重兵卒が兵隊ならば、ちょうちょうトンボも鳥のうち」と兵站任務をさげすんだ陸軍の結果が、これです。
関東大震災の時、取材にきた外国の特派員が、一部では騒動があったものの、物資の配給などで日本人が整然と並び、奪い合いが少ないことに驚いたことを報道していますが、昭和の軍人はひどかったようで、日常、部下や新兵をリンチするのは陸・海軍とも当たり前。
捕虜収容所でも将校が威張り散らしたり、英語のできる者を生意気だとリンチしたり、情けない話がたくさん出てきます。
ソ連収容所での仲間を告げ口して売った話は、戦後、裁判にまでなりました(暁に祈るほか)
我々が戦中・戦後経験したことでも、軍人・警察など権力者のひどい威張り方、疎開者へのいじめ、一部の食料の独占など、日本人のモラル、倫理感の低下はひどく、それが最近でも政治家、官僚、そして庶民にまで依然として残り、低下しつづけています。
汚職は当たり前、企業でも表示の嘘、食べ物偽装まで大盛りです。生命軽視は特に最近多くなりました。
今回起きた、イージス艦と漁船の衝突一つ見ても、昔の、そこのけ・そこのけ の軍隊意識が残っている気がします。
こんな世の中なんとかしたくても、我々には1票を投じる以外、意思表示の方法がありません。
政治家だけでなく、官僚が日本という国を忘れ、自己中心の動きをするのですから、庶民はたまりません。
アメリカの次期大統領も、誰が勝つにせよ、戦争嫌いであることを願わずにはいられません。
今日は半分、愚痴になってしまいましたが、歴史から学びとることはたくさんあると思います。
もう、春もすぐに来るでしょうが、本当に暖かい春が来てほしいですね。
***********
明治維新のころの世界の中で孤立し、取り残されるという不安、国民全員が頑張らねばという一体感など、日清・日露・第1次大戦の戦勝で薄まり、消え去り、気が付けば陸軍が政治を支配し、政治家も5・15以来政党政治を忘れ、日本全体がおかしくなっていきました。
戦後の平和は、また平和ボケからカネ・カネの若者ばかりを作り、人を殺すことにもためらいが無くなりつつあります。
メルマガもそろそろ、3月末くらいで終わりにしたら如何?
これだけ長い間、たくさんの人に読まれ、愛されたのですから、本望でしょう。
カナダに関心を持つ日本人は多かったのですから、ずいぶん、人助けをしたはずです。
阿部基冶
情けない世の中
阿部基冶
拙文をメルマガに載せていただき、有難うございます。載ると思っていなかったので、載ってからあわてて、その2を書きました。そうしないと、淵田の戦後の改心した、もっともらしい、良さそうなところだけ書いた形になってしまうからです。
小生は戦前に生まれた一員として、少しは戦争を空襲・機銃射撃・勤労動員や2度の戦災、物資特に食糧難という形で体験したので、後世にというか若い人に戦争の悲惨さ、政治家や軍人の独断・ひどさなどを伝える義務があると思い、明治から現代への近代史の本を、実録を含め読み、時々貴兄にも書かせてもらっていますが、小生なりに、日本人はひどくなってきた、特に、昭和になってからはひどいと思っています。
特攻隊を送り出して生き延びた将軍も、一人や二人ではありません。インパールで10万人を無駄死にさせた牟田口蓮也、フィリッピンで特攻空軍を残して台湾に逃げた富永恭次、ともに陸軍のダメ将軍は、やはり戦後謝りもせずに生き延びています。
東條の自殺未遂も噴飯ものでした。
捕虜になるなと教えた本人が、自殺の方法も知らなかった!!
当時中学生の我々ですら、銃口を口にくわえれれば完全に死ねると知っていました。
海軍も特攻の発案者の一人、大西滝次郎は自決したからまだしも、同じ発案者の宇垣纏は終戦の詔勅の下りた後、8月15日の午後、部下30人近くを連れて最後の特攻で沖縄に突っ込んだのは有名ですから、ご存知でしょう。
航空出身なのですから、自分ひとりで操縦して行けばいいものを、3人乗りの天山艦攻を使ったため、死ななくてもいい部下を最後まで殺しました。
途中で機体の不良で不時着して助かったものが何人かいたのと、宇垣を初め、米軍に突っ込んだのが一人もいなかったのが、不幸中の幸い。もし、これで被害が出ていたら大問題になっていた可能性があります。
嶋田繁太郎にしても、開戦時の海軍大臣の責任を考えたら引込むべきなのにおめおめと生き延び、海上自衛隊に祝辞を述べに行ったというのですから、呆れるほかありません。
小生の調べでは、特攻機は海軍・1,298、陸軍1,185、計2,483
体当たり機数 244 至近弾となった機数 166 被害を与えた艦船数 358 奏功率 16.5% という惨憺たる結果です。
シナ事変から大東亜戦争までの310万人という死者(軍人230万民間80万)に比べたら、人数は数千人ですが、彼らは「必らず死ね」だったのです。
数々の本や、身内で戦地からなんとか帰国できたものから聞くと、戦場では食料と水の不足から、仲間の日本兵を殺して水や食料を奪うものが多く、敵兵より味方に気を使ったと言っています。
陸軍の戦死者の70%は、飢えからと言われていますから、この話は嘘とは思われません。
「輜重兵卒が兵隊ならば、ちょうちょうトンボも鳥のうち」と兵站任務をさげすんだ陸軍の結果が、これです。
関東大震災の時、取材にきた外国の特派員が、一部では騒動があったものの、物資の配給などで日本人が整然と並び、奪い合いが少ないことに驚いたことを報道していますが、昭和の軍人はひどかったようで、日常、部下や新兵をリンチするのは陸・海軍とも当たり前。
捕虜収容所でも将校が威張り散らしたり、英語のできる者を生意気だとリンチしたり、情けない話がたくさん出てきます。
ソ連収容所での仲間を告げ口して売った話は、戦後、裁判にまでなりました(暁に祈るほか)
我々が戦中・戦後経験したことでも、軍人・警察など権力者のひどい威張り方、疎開者へのいじめ、一部の食料の独占など、日本人のモラル、倫理感の低下はひどく、それが最近でも政治家、官僚、そして庶民にまで依然として残り、低下しつづけています。
汚職は当たり前、企業でも表示の嘘、食べ物偽装まで大盛りです。生命軽視は特に最近多くなりました。
今回起きた、イージス艦と漁船の衝突一つ見ても、昔の、そこのけ・そこのけ の軍隊意識が残っている気がします。
こんな世の中なんとかしたくても、我々には1票を投じる以外、意思表示の方法がありません。
政治家だけでなく、官僚が日本という国を忘れ、自己中心の動きをするのですから、庶民はたまりません。
アメリカの次期大統領も、誰が勝つにせよ、戦争嫌いであることを願わずにはいられません。
今日は半分、愚痴になってしまいましたが、歴史から学びとることはたくさんあると思います。
もう、春もすぐに来るでしょうが、本当に暖かい春が来てほしいですね。
***********
明治維新のころの世界の中で孤立し、取り残されるという不安、国民全員が頑張らねばという一体感など、日清・日露・第1次大戦の戦勝で薄まり、消え去り、気が付けば陸軍が政治を支配し、政治家も5・15以来政党政治を忘れ、日本全体がおかしくなっていきました。
戦後の平和は、また平和ボケからカネ・カネの若者ばかりを作り、人を殺すことにもためらいが無くなりつつあります。
メルマガもそろそろ、3月末くらいで終わりにしたら如何?
これだけ長い間、たくさんの人に読まれ、愛されたのですから、本望でしょう。
カナダに関心を持つ日本人は多かったのですから、ずいぶん、人助けをしたはずです。
阿部基冶
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