ハワイのこと(続き)(2007/11/11)
ハワイのこと、貴兄への私信のつもりが載せていただき恐縮、もう少しきちんと調べて書いた方が良かったかも、
というのは、人名などなぜかハワイに行ったら急に頭の中に浮かんできたので、正確かどうかわからなかったからです。
吉川大尉も少尉のような気がしますし、西開地という名前も変わった名前なので覚えていましたが、階級はよく覚えていません。
吉川が森村正という偽名を使い、一等書記官との触れ込みだったのに、アメリカがこんな若い一等書記官はいるはずがないと、最初から疑ってかかったという話は覚えています。
暗号解読は、以前井上氏が太平洋戦争はルーズベルトが起こしたと 「カナダこのごろ」に書かれたように、彼が暗号解読から、日本に戦争を仕向けるように動いたことは、スティネットの「真珠湾の真実」という本を読めば明らかです。
ルーズベルトは大統領になるときに、国民を戦地に送らないと約束したため、イギリスから督促を受けても第二次世界大戦に参加できず、その突破口として、当時日本と戦争状態だった支那の蒋介石を援助しつつ、日本の矛先をアメリカに向けるようにし、真珠湾を攻撃されるのも分かっていて、キンメル米太平洋艦隊司令長官には知らせなかったのです。
キンメルは責任を問われて職を追われ、不遇のうちに亡くなり、家族が名誉回復を訴えて それがアメリカの議会で承認されたのは、つい10年くらい前だと思います。
「リメンバーパールハーバー」 はルーズベルトの一世一代の大芝居、それにアメリカ全国民は乗せられたわけです。
彼は人種差別もかなりひどく、在米日本人が戦前からさんざんいじめられたことは、貴兄もご存じでしょう。
法律まで作って日本人を迫害しました。
ルーズベルトは急逝したため、なにも本人の自白証拠はありませんが、残った文書からは彼の悪行は明らかです。
最近、佐々木譲という作家の本を読みましたが、彼の第2次大戦3部作に 「エトロフ発緊急電」 というのがあります。
アメリカから送り込まれた日系二世のスパイが、1941年11月エトロフ島に停泊していた真珠湾攻撃艦隊の動静を 暗号電報で知らせた話です。
これでも真珠湾攻撃はアメリカでは知っていたはずなのに、何の対策もとられていません。
佐々木氏の あとの2冊は 「ベルリン飛行指令」 「ストックホルムの密使」 です。
前者は、ロンドン爆撃が戦闘機の援護がないためうまくいかないのを嘆いたヒットラーが、日本のゼロ戦の技術を利用しようと ゼロ戦をベルリンに送らせた話です。
1940年の秋に2機のゼロ戦が東南アジア・イラク経由でベルリンまで飛ぶのですが、1機は途中で撃墜され、1機だけベルリンに着陸したのです。
結局、ドイツはゼロ戦は使わなかったのですが、ヒットラーの意向でこの三菱重工との技術提携に関する文書は全部破棄されたため、戦後かなり後までこのことは知られなかったようです。
ベルリンにいた日本のパイロットは その後、ドイツ空軍の教官となり、ベルリンの戦闘で戦闘機のパイロットとして出撃、行方不明になっています。
「ストックホルム」 は 在欧日本人外交官が、1945年、ソ連の日本開戦、アメリカの原爆開発の情報をつかみ、それを日本の外務省に打電するのですが、さっぱり反応がないため、ある日本人に依頼してこの情報を日本まで持ち運ぶことを依頼するのです。
8月の原爆の投下、ソ連の開戦に間に合うタイミングで この密使はシベリヤ経由日本に到着するのですが、例によって、日本はこの情報を無視。
ソ連を仲介する終戦工作を ソ連が中立条約を一方的に破棄して攻め込んでくるまで続けたという お粗末。
こうした本を読んでいると、一つの事実の裏に思いがけないことが潜んでいるので、びっくりします。
ゼロ戦がドイツに提供された話など、ゼロ戦の本を何冊も読んだ小生も全く知りませんでした。
今日は秋日和、また表に出てスポーツクラブで運動します。
歩くより プールで30分泳げば 数倍のカロリーが消費できるので、最近はマシンとプールの併用で体重増防止に努めています。
晩酌のビールが止められないので、運動は欠かせません。
では、また。
阿部基冶
というのは、人名などなぜかハワイに行ったら急に頭の中に浮かんできたので、正確かどうかわからなかったからです。
吉川大尉も少尉のような気がしますし、西開地という名前も変わった名前なので覚えていましたが、階級はよく覚えていません。
吉川が森村正という偽名を使い、一等書記官との触れ込みだったのに、アメリカがこんな若い一等書記官はいるはずがないと、最初から疑ってかかったという話は覚えています。
暗号解読は、以前井上氏が太平洋戦争はルーズベルトが起こしたと 「カナダこのごろ」に書かれたように、彼が暗号解読から、日本に戦争を仕向けるように動いたことは、スティネットの「真珠湾の真実」という本を読めば明らかです。
ルーズベルトは大統領になるときに、国民を戦地に送らないと約束したため、イギリスから督促を受けても第二次世界大戦に参加できず、その突破口として、当時日本と戦争状態だった支那の蒋介石を援助しつつ、日本の矛先をアメリカに向けるようにし、真珠湾を攻撃されるのも分かっていて、キンメル米太平洋艦隊司令長官には知らせなかったのです。
キンメルは責任を問われて職を追われ、不遇のうちに亡くなり、家族が名誉回復を訴えて それがアメリカの議会で承認されたのは、つい10年くらい前だと思います。
「リメンバーパールハーバー」 はルーズベルトの一世一代の大芝居、それにアメリカ全国民は乗せられたわけです。
彼は人種差別もかなりひどく、在米日本人が戦前からさんざんいじめられたことは、貴兄もご存じでしょう。
法律まで作って日本人を迫害しました。
ルーズベルトは急逝したため、なにも本人の自白証拠はありませんが、残った文書からは彼の悪行は明らかです。
最近、佐々木譲という作家の本を読みましたが、彼の第2次大戦3部作に 「エトロフ発緊急電」 というのがあります。
アメリカから送り込まれた日系二世のスパイが、1941年11月エトロフ島に停泊していた真珠湾攻撃艦隊の動静を 暗号電報で知らせた話です。
これでも真珠湾攻撃はアメリカでは知っていたはずなのに、何の対策もとられていません。
佐々木氏の あとの2冊は 「ベルリン飛行指令」 「ストックホルムの密使」 です。
前者は、ロンドン爆撃が戦闘機の援護がないためうまくいかないのを嘆いたヒットラーが、日本のゼロ戦の技術を利用しようと ゼロ戦をベルリンに送らせた話です。
1940年の秋に2機のゼロ戦が東南アジア・イラク経由でベルリンまで飛ぶのですが、1機は途中で撃墜され、1機だけベルリンに着陸したのです。
結局、ドイツはゼロ戦は使わなかったのですが、ヒットラーの意向でこの三菱重工との技術提携に関する文書は全部破棄されたため、戦後かなり後までこのことは知られなかったようです。
ベルリンにいた日本のパイロットは その後、ドイツ空軍の教官となり、ベルリンの戦闘で戦闘機のパイロットとして出撃、行方不明になっています。
「ストックホルム」 は 在欧日本人外交官が、1945年、ソ連の日本開戦、アメリカの原爆開発の情報をつかみ、それを日本の外務省に打電するのですが、さっぱり反応がないため、ある日本人に依頼してこの情報を日本まで持ち運ぶことを依頼するのです。
8月の原爆の投下、ソ連の開戦に間に合うタイミングで この密使はシベリヤ経由日本に到着するのですが、例によって、日本はこの情報を無視。
ソ連を仲介する終戦工作を ソ連が中立条約を一方的に破棄して攻め込んでくるまで続けたという お粗末。
こうした本を読んでいると、一つの事実の裏に思いがけないことが潜んでいるので、びっくりします。
ゼロ戦がドイツに提供された話など、ゼロ戦の本を何冊も読んだ小生も全く知りませんでした。
今日は秋日和、また表に出てスポーツクラブで運動します。
歩くより プールで30分泳げば 数倍のカロリーが消費できるので、最近はマシンとプールの併用で体重増防止に努めています。
晩酌のビールが止められないので、運動は欠かせません。
では、また。
阿部基冶
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