Thursday, October 05, 2006

アウシュヴィッツとカナダ (2006/10/04)

アウシュヴィッツとカナダは 一見何にも関係が無いように思われるでしょうが、凄いことに アウシュヴィッツの中に 信じられないでしょうが、「カナダ」と呼ばれていたところがあったのです。

アウシュヴィッツに送りこまれた人達の 財産、金品を SS(ナチス親衛隊)が全部、取り上げたことは 前に書きましたが、その没収財産の 一時保管倉庫が 「カナダ」と呼ばれていたのです。

なぜ、この倉庫が 「カナダ」と呼ばれていたかというと、裕福な国、ということだったそうです。

SSも「カナダ」と呼ぶようになったということなので、最初は 収容者がそう呼ぶようになった と思われます。

1945年1月20日と 26日に 大量殺人の証拠隠滅のため、SSは この倉庫(アウシュヴィッツ第1とビルケナウの2ヶ所にあった)に放火しましたが、全部はとても燃やしきれませんでした。

残された物は、ソ連の調査団の報告だと 以下のとうりです。

 男性用衣服    24万6820着
 女性用       83万6225着
 子供用       11万5063着
 男性用靴   3万8000足(ただし靴底なし)
 女性用       5525足
 眼鏡          1万2921個
 かばん           3162個
 ブラシ         4万9865個
その他、ナイフ、スプーン、はさみ、鏡、洗濯石鹸、布団絨毯など物凄い数です。

焼けたものを加えたら、想像を絶する数になると思われます。

これが「カナダ」に一時保管されていたもので、もちろんここから発送されていったものは別で、資料でも1944年の年末の37日間に 116本の貨物列車が 動員された記録が残っています。
全部でどれだけあったか、全く想像できません。

カナダが1940年代でも、裕福だと思われていたことに、カナダの人々は 複雑な気持ちを持っておられるのではないでしょうか。

なお、アウシュヴィッツのことを知るには、素晴らしい本があります。

中谷 剛 著 「アウシュヴィッツ博物館案内」
         凱風社  2005年5月出版

昨年、アウシュヴィッツを訪れた日本人は 約7千人、韓国の3分の1、世界では20番目に近い数字です。
地元ポーランドを除くと、アメリカ、ドイツ、イタリヤの順です。

どうしてもアウシュヴィッツまで行かれない方は この本の一読を薦めます。

ポーランドの歴史から、ユダヤ民(中谷氏はユダヤ人という人種は無いのでこう呼んでいます)の歴史、収容者の証言、教科書問題など 幅広く書かれていますので、大変、勉強になります。

最近の銃乱射を初め、いろいろな事件を見ていると、このアウシュヴィッツを作り、ホロ-コーストを実行した人間の残虐性は 60年以上経っても ちっとも変っていない気がします。

残念ですが、人間は この程度の動物なのでしょうか?

阿部基治 abemotoharu.blogspot.com (06/10/04)

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