ハワイの印象 (2007/11/07)
昨日ハワイから戻りました。
往きの6.5時間は、機中泊で夕朝と2回も食事が出るのでほとんど眠れず、せっかくのビジネスクラスのシートも無駄でした。、
朝7時過ぎにあのヒッカム飛行場につながるワイキキ国際空港に向け、高度が下がるときは、やはり「トラ、トラ、トラ」を思い出しました。
結論から言えば、もう、パールハーバーで頭を下げてきたので、ハワイは二度は行かないでしょう。
ワイキキビーチはホームレスがいっぱい、泳ぐ気などまったく起きず、しかも流行なのか刺青を手、足、背中、胴などほとんど全身にわたりしているものが多く、ペイントかもしれませんが、入れ墨は犯罪人の印と思っている小生には嫌悪感だけ。空港からホテルに行くまでの間に嫌になりました。
パール・ハーバーの海は静かで、アリゾナ記念館をフォード島に望んで、あの66年前の攻撃で命を落とした米そして日の人々に頭を下げ、やっと肩の荷が下りました。
小生がアリゾナ資料館の前で頭を下げていたら、ガイドの日系二世らしい年寄りが「何でだ?」と聞くので66年間気になって今までハワイに来れなかったと言うと、「日本人は律義な人が多い」と笑って言っていました。
そして、「アメリカ人はもう忘れているよ、なにしろ、戦争好きだから……」と。
「それよりも日本人がハワイへ来なくなったら、ここは潰れちゃうよ、ほとんど全部、日本人の落とすお金で生活がなりたっているのだから…」
肩の荷は下りても、複雑な心境でした。
あの、在米大使館の井口参事官・奥村書記官の仕事のサボりから事件は起きました。
野村駐米大使は真珠湾攻撃を何も知らぬまま、1時間も指定時刻を遅れて交渉打ち切り(開戦)の文書を持って行ったのです。
アメリカの大使館で一本指でも英文タイプを打てたのは奥村一人だったというのですから、あきれた外交官です。 タイプの勉強すらせず、高給を取る。まさに役人の鑑ですね。
なぜか、戦後もこの文書手渡し遅れの調査は吉田茂外務大臣は潰しにかかり、外務省を去っていた井口・奥村を呼び寄せ、次官に据え、のちに井口はカナダ・アメリカ大使に昇進、奥村もスイス大使に昇進したのです。
外務省のメンツを第一に考えたとしか思えません。
天皇とマッカーサーが初めて会ったとき、天皇は外務省から言われてか「東條がやった」と説明したそうです。そしてそのときの通訳がなんと奥村です。
自分のミスを東條の所為、と翻訳するときに、良心が痛まなかったのかと不思議になります。
このお陰で、どれだけ日本人が海外を含め肩身の狭い思いをしたことか。
9.11のときも「真珠湾の再来」と言われたのに、日本政府は何も言わず。
外務省が真相を発表したのは、なんと1994年のことです。
戦後、50年たってからです。
ALOHAさんのいう害務省です。
小生を含め、この一事を負担に考えている日本人は少なくないと思います。
小生は頭を下げてケリをつけましたが、律義な日本人はまだ多いと思います。
あと、ハワイで印象に残ったのはモアナルア・ガーデンの「この木なんの木気になる木」です。
日立のコマーシャルというよりも、小林亜星の曲で有名になりましたが、これをコマーシャルに使う発想をした人を褒めたいと思います。
良い木でした。
日本より暖かく住みよい街かもしれませんが、単なる観光地でリゾート地ではないというのが、小生の感想です。
66年間の重荷も下り、次はどこへ行くか計画中、意外と早くまた出かけるかもしれません。
なにしろ、身体の衰えを痛感し、動ける間に旅をしようとおもいだしたからです。
歳はやはり厳しい、それだけに焦ります。
往きの6.5時間は、機中泊で夕朝と2回も食事が出るのでほとんど眠れず、せっかくのビジネスクラスのシートも無駄でした。、
朝7時過ぎにあのヒッカム飛行場につながるワイキキ国際空港に向け、高度が下がるときは、やはり「トラ、トラ、トラ」を思い出しました。
結論から言えば、もう、パールハーバーで頭を下げてきたので、ハワイは二度は行かないでしょう。
ワイキキビーチはホームレスがいっぱい、泳ぐ気などまったく起きず、しかも流行なのか刺青を手、足、背中、胴などほとんど全身にわたりしているものが多く、ペイントかもしれませんが、入れ墨は犯罪人の印と思っている小生には嫌悪感だけ。空港からホテルに行くまでの間に嫌になりました。
パール・ハーバーの海は静かで、アリゾナ記念館をフォード島に望んで、あの66年前の攻撃で命を落とした米そして日の人々に頭を下げ、やっと肩の荷が下りました。
小生がアリゾナ資料館の前で頭を下げていたら、ガイドの日系二世らしい年寄りが「何でだ?」と聞くので66年間気になって今までハワイに来れなかったと言うと、「日本人は律義な人が多い」と笑って言っていました。
そして、「アメリカ人はもう忘れているよ、なにしろ、戦争好きだから……」と。
「それよりも日本人がハワイへ来なくなったら、ここは潰れちゃうよ、ほとんど全部、日本人の落とすお金で生活がなりたっているのだから…」
肩の荷は下りても、複雑な心境でした。
あの、在米大使館の井口参事官・奥村書記官の仕事のサボりから事件は起きました。
野村駐米大使は真珠湾攻撃を何も知らぬまま、1時間も指定時刻を遅れて交渉打ち切り(開戦)の文書を持って行ったのです。
アメリカの大使館で一本指でも英文タイプを打てたのは奥村一人だったというのですから、あきれた外交官です。 タイプの勉強すらせず、高給を取る。まさに役人の鑑ですね。
なぜか、戦後もこの文書手渡し遅れの調査は吉田茂外務大臣は潰しにかかり、外務省を去っていた井口・奥村を呼び寄せ、次官に据え、のちに井口はカナダ・アメリカ大使に昇進、奥村もスイス大使に昇進したのです。
外務省のメンツを第一に考えたとしか思えません。
天皇とマッカーサーが初めて会ったとき、天皇は外務省から言われてか「東條がやった」と説明したそうです。そしてそのときの通訳がなんと奥村です。
自分のミスを東條の所為、と翻訳するときに、良心が痛まなかったのかと不思議になります。
このお陰で、どれだけ日本人が海外を含め肩身の狭い思いをしたことか。
9.11のときも「真珠湾の再来」と言われたのに、日本政府は何も言わず。
外務省が真相を発表したのは、なんと1994年のことです。
戦後、50年たってからです。
ALOHAさんのいう害務省です。
小生を含め、この一事を負担に考えている日本人は少なくないと思います。
小生は頭を下げてケリをつけましたが、律義な日本人はまだ多いと思います。
あと、ハワイで印象に残ったのはモアナルア・ガーデンの「この木なんの木気になる木」です。
日立のコマーシャルというよりも、小林亜星の曲で有名になりましたが、これをコマーシャルに使う発想をした人を褒めたいと思います。
良い木でした。
日本より暖かく住みよい街かもしれませんが、単なる観光地でリゾート地ではないというのが、小生の感想です。
66年間の重荷も下り、次はどこへ行くか計画中、意外と早くまた出かけるかもしれません。
なにしろ、身体の衰えを痛感し、動ける間に旅をしようとおもいだしたからです。
歳はやはり厳しい、それだけに焦ります。
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