淵田美津雄
2008/02/17
「淵田美津雄」
阿部基冶
淵田の名前はご存じでしょう、真珠湾攻撃隊の隊長で「トラ・トラ・トラ」を発信した海軍中佐です。
彼が生前書いた自叙伝が発見され、ある作家がその7割ぐらいを編集したものを読みました。
なかなか興味深い話が出てきます。その一端を紹介します。 彼が戦後キリスト教の伝道師になったことは有名ですが、そのきっかけになったのは、1942年4月18日に日本を初空襲したデウリトッル爆撃隊の16号機の爆撃手がやはり、キリスト教の伝道のため、日本にきてパンフを配りそれを淵田が読んだことに始まったそうです。
同じ飛行士同士の邂逅だったのです。
淵田は昭和20年代からアメリカに渡り、伝道師として働いたので、相当な非難と差別にあったようですが、彼はジャップと呼ばれ続けながら、それを許し続けたそうです。 イエローは当たり前の時代です。
ただ、驚いたのは 彼が戦後アメリカ軍に呼ばれていろいろ事情聴取されていた時に、食堂に行ったら 黒人兵に呼ばれ レストランの裏で、多数の黒人兵から 「よく真珠湾をやってくれた、 おれたちはあれですっきりした」と散々歓待されたことがあったそうです。
アメリカの黒人差別がひどいことは聞いていましたが、真珠湾攻撃まで黒人が喜んだ話を読んで、その深さを知りました。
彼がジャップと呼ばれようが平気だった裏には、こうした事実を体験したことがあるのでしょう。
彼はアメリカで アイゼンハウアー・ニクソン・トルーマン・デウリトル・ニミッツ元帥・スプルァンス第7、ターナー第5艦隊司令長官など有名人とも面談していますが、トルーマンが 「真珠湾は両者有罪だ」といった話が出てきます。
GUILTYという言葉が使われているところを見ると、トルーマンは ルーズベルトが日本を開戦に追いやったこと、真珠湾攻撃の暗号通信文を解読していて知っていたことなどの裏を知っての発言と思われます。
これはかなり重要な発言ですが、今まで表に出てきたことはありません。 ハワイの話で小生が以前書いた、ゼロ戦・西開地一等飛行兵曹のニイハフ島不時着の件は、淵田は攻撃隊長でありながら 全く知らなかったそうです。
伝道でまわるうちに、日系二世の人から手紙でこのことを知らされ、わざわざニイハフ島まで赴いて頭を下げた話が出てきます。 伝道師としての淵田の行動は異常とも思える過密スケジュールで、それが彼の寿命を縮めたことは明らかです。
小生信仰心は薄く、とても彼のマネはできませんが、広島・長崎の原爆跡を、大本営航空参謀として視察した彼が、洗礼を受けたことは十分理解できます。 こうした本を読むと、人間の一生は本当に死ぬまで判らぬとつくづく思います。
今の福田を初めとした情けない政治家どもに読ませてやりたい本でした。
阿部基冶
「淵田美津雄」
阿部基冶
淵田の名前はご存じでしょう、真珠湾攻撃隊の隊長で「トラ・トラ・トラ」を発信した海軍中佐です。
彼が生前書いた自叙伝が発見され、ある作家がその7割ぐらいを編集したものを読みました。
なかなか興味深い話が出てきます。その一端を紹介します。 彼が戦後キリスト教の伝道師になったことは有名ですが、そのきっかけになったのは、1942年4月18日に日本を初空襲したデウリトッル爆撃隊の16号機の爆撃手がやはり、キリスト教の伝道のため、日本にきてパンフを配りそれを淵田が読んだことに始まったそうです。
同じ飛行士同士の邂逅だったのです。
淵田は昭和20年代からアメリカに渡り、伝道師として働いたので、相当な非難と差別にあったようですが、彼はジャップと呼ばれ続けながら、それを許し続けたそうです。 イエローは当たり前の時代です。
ただ、驚いたのは 彼が戦後アメリカ軍に呼ばれていろいろ事情聴取されていた時に、食堂に行ったら 黒人兵に呼ばれ レストランの裏で、多数の黒人兵から 「よく真珠湾をやってくれた、 おれたちはあれですっきりした」と散々歓待されたことがあったそうです。
アメリカの黒人差別がひどいことは聞いていましたが、真珠湾攻撃まで黒人が喜んだ話を読んで、その深さを知りました。
彼がジャップと呼ばれようが平気だった裏には、こうした事実を体験したことがあるのでしょう。
彼はアメリカで アイゼンハウアー・ニクソン・トルーマン・デウリトル・ニミッツ元帥・スプルァンス第7、ターナー第5艦隊司令長官など有名人とも面談していますが、トルーマンが 「真珠湾は両者有罪だ」といった話が出てきます。
GUILTYという言葉が使われているところを見ると、トルーマンは ルーズベルトが日本を開戦に追いやったこと、真珠湾攻撃の暗号通信文を解読していて知っていたことなどの裏を知っての発言と思われます。
これはかなり重要な発言ですが、今まで表に出てきたことはありません。 ハワイの話で小生が以前書いた、ゼロ戦・西開地一等飛行兵曹のニイハフ島不時着の件は、淵田は攻撃隊長でありながら 全く知らなかったそうです。
伝道でまわるうちに、日系二世の人から手紙でこのことを知らされ、わざわざニイハフ島まで赴いて頭を下げた話が出てきます。 伝道師としての淵田の行動は異常とも思える過密スケジュールで、それが彼の寿命を縮めたことは明らかです。
小生信仰心は薄く、とても彼のマネはできませんが、広島・長崎の原爆跡を、大本営航空参謀として視察した彼が、洗礼を受けたことは十分理解できます。 こうした本を読むと、人間の一生は本当に死ぬまで判らぬとつくづく思います。
今の福田を初めとした情けない政治家どもに読ませてやりたい本でした。
阿部基冶
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