Friday, September 15, 2006

映画の話 (2006/09/15)[o]

今回送った山田洋次は、寅さんシリーズが有名ですが、送ったビデオ以外にも良い作品はたくさんあります。

前回、一番好きな時代劇で「七人の侍」を送りましたが、あの映画の脚本を書いた橋本忍氏が「複眼の映像 私と黒沢明」という本を出しました。
読んで、一驚しました。

黒沢映画が何故面白く、何故、つまらなくなっていったかが、全て判ったのです。

黒沢も橋本も、脚本が良ければよい映画が出来る、という点で一致しているのですが、そのためには、先ず、1 テーマ  2 ストーリ  3 人物設定 を複数の人間の話し合いで、きちんと決めてから、シナリオを書いたとのこと。これだけで、1月かかることもあった由。
シナリオを複数の人間で書くから、「複眼の映像」のタイトルがついているのです。

「七人の侍」は、黒沢と橋本が これに沿ってシーンを書き、小国英雄は シナリオは書かず、それをチェックして 面白い方を選ぶ役割をする方法で、脚本を完成させたとのこと。

これが、橋本をして「七人の侍」は ベスト映画で これ以上のものは望めないと、言わしめたのです。 「生きる」も同じ方法だったようです。

ところが、その後、黒沢は シナリオの書き方を変え、小国英雄にも書かせ、みんなの書いた中から良いものを選ぶ方法にしたため、チェック役がいなくなり、脚本がつまらなくなったと言うのです。

それが「生きものの記録」「蜘蛛巣城」あたり、

その後、黒沢のやり方についていけない者も出て、遂に、黒沢には反論できない若手の井手雅人を使って「影武者」「乱」といった 小生が見ても面白くない作品になっていきます。

そして、「夢」「八月の狂詩曲」「まあだだよ」の 最後の3作品は、黒沢一人の脚本になっていくのです。

橋本氏はもう85歳を超え、シナリオ以外の本を書くときは遺書しかないと言っていた人ですから、そのつもりで、この黒沢との話を書いたと思います。

彼は黒沢に見出され、黒沢を人一倍尊敬していますが、黒沢の映画作りの本質を ここまではっきり書いた人はいません。

ここでは簡単に内容を紹介しておくに留めます。

そういえば、山田洋次も 自分と他の脚本家と共同でシナリオを書いています。
山田作品に低レベルのものが無いのは、そのせいでしょうか?

それから、前回のメールの追加です。

甲飛は高専卒、乙飛は中卒、丙飛は高小・小卒と学校の卒業レベルで、区分していました。

それから、 野口さんが書かれた 日本の傑作飛行艇 二式大艇は 一機現存していて、東京のお台場にある「船の科学館」の入り口に置かれています。 一見に値します。

行くたびに 四発の大きな機体に見とれますが、 このままだと 錆びたり、風化しないか、心配です。 屋根の無いところにあるのです。

(06/09/15)

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