Friday, March 30, 2007

硫黄島 (07/03/29)

山田様

川相昌一氏の書いた「硫黄島戦記」を読みました。陸軍の生き残りですが、偶然にも秋草氏と同じく通信兵で司令部壕にいて生き延びたようです。

その中で3月19日の総攻撃のあと壕の中で約二ヶ月生き延びるのですが、食料をめぐって日本兵同士が争い、殺しあう記述がありました。

捕虜になってからも、親米派とみなされた兵隊が同じ日本兵からリンチに遭う話も出てきて、同じ日本人として情けなく、憤りを隠せませんでした。

折角生き延びて、同じ日本人に殺されたり、同じ捕虜同士で殴りあったり、戦争がこんな不条理を引き起こすのでしょうか。

巻末に大野芳という作家の解説が載っていますが、それにもショッキングなことが書かれていました。

一つは「バロン西、出て来い」と元ロス五輪の馬術金メダリストの西大佐を、米軍が降伏を呼びかけた話はどうも創作だったとの話です。
米軍は西大佐が硫黄島にいることなど全く知らなかったそうですから、この作り話は明らかでしょう。

二つ目は栗林中将はそんなに大した人物ではなかったということです。
梯久美子さんの本が彼を美化しすぎたようで、同じノンフィクションを書いている者として書く姿勢のむづかしさを痛感しました。
小田静夫という作家も栗林や硫黄島について書かれていますが、誰の本が良いのか私にも判りません。

もし、山田さんが読まれて良いのがあったら、ご教示ください。

阿部 基治 (07/03/29受信)

Tuesday, March 13, 2007

南海の花束 (2007/03/12)

カナダもサマータイムの由。今まで環境問題に冷淡だったアメリカが 手のひらを返すようにうるさくなったのは、ブッシュの影響力が落ちたということでしょうか。 戦後、日本でも サマータイムが導入されたときのことを覚えていますか?みんな睡眠不足になり、あっという間に廃止になりましたが、それを知らない若手の議員達が 復活を叫んでいるそうです。 何故止めたかも調べることなく、環境に良いというと直ぐ乗るという浅はかな連中の動きになさけなさを覚えます。

哲郎さんが映画祭で受賞されたとのこと、本当におめでとうございます。映画祭が 2,000もあるのは知りませんでしたが、賞を取るのは大変なことです。 そこで数多くの人に優秀さを認められ、共感を呼んだということなのですから。

小生は賞など全く縁がなく、放送作家になったときも書いた台本を持ち歩いて たまたまNHKで拾ってもらっただけのこと。 本も勝手に書いていたら、何故だか 2作目の 金嬉老 で 師匠に当たる山本祐司氏が 、「山本祐司ノンフィクション賞」というのを呉れました。 賞金10万円は嬉しくて どこに、どう使ったか 記憶がありません。 この賞が 人生で唯一のものでしょう。勿論、学校でも 賞には縁がありませんでした。

ところで、今日のメールの件名にした「南海の花束」 が 映画のタイトルだと判ったら 貴兄はかなりの映画通です。

昭和17年 [1942年] 東宝製作の航空映画です。 たまたま、国立近代美術館のフィルムセンターで、円谷英二の特撮映画の特集があり、見に行ったのです。

丁度、「ハワイ・マレー沖海戦」の前に作られた映画で、監督阿部豊、脚本阿部豊・八木隆一郎、撮影小原譲治、音楽早坂文雄といったそうそうたるスタッフです。
昭和17年のキネマ旬報のベスト10は1位が「ハワイ・マレー沖」で、この 「南海の花束」 は 5位でした。
主演は 大日方傳、河津清三郎、大川平八郎、杉村春子、菅井一郎というメンバーで佐分利信がちょっと出ていました。
杉村春子は 年をとられてからとほとんど変らぬ顔で登場し、苦笑ものでした。
河津が若く、戦後の任侠ものよりよほど良かったです。

話は 大日本航空がモデルで、南洋に航空路を持つ会社が赤道近くにまで航路を開拓する という話でした。
勿論、その飛行機を見るのが目的でしたが、最初に出てくるのは単発複葉の 郵便運びの水上飛行機、そして双発の飛行艇が出てきて、航路開拓に登場するのが 九七式大艇です。
あの川西が作った 4発の飛行艇です。第1回目は台風に巻き込まれ 遭難、 そして2回目の開拓便が 遭難地点に花束を落とすという話です。

円谷の特撮はハワイ・マレー沖に劣らぬ出来で嵐の中で九七式大艇が落雷で翼を折り、エンジンから出火するシーンも良く出来ていました。
それ以外にも 特撮場面がありましたが、かなりの出来で、小原の実写撮影も飛行艇の離着水のシーンも 良く撮られていて 見応えがありました。

戦時中の映画にもかかわらず戦争の話は全く出てきません。 最初の字幕に 「横須賀鎮守府検閲済」 と出るのが、唯一 戦争を思い出させるくらい。
南洋は恐らく、サイパンロケで撮ったと思われ、チャモロ族の踊りのシーンも出てきます。
映画の中では 南洋という言葉と、あと、カタカナの地名が使われていますが、実名ではないと思いました。

九七式大艇は、紀元1997年すなわち 昭和12年に型式が認定された飛行艇で、4発高翼単葉の長さが25メーター、巾が40メーターもある大きな飛行艇で、私が調べたところでは全部で179機作られています。このあと、有名なニ式大艇が生まれ、九七式は速度も遅いこともあって後方でしか使われなくなるのですが、映画では 4発でもあり、かなり大きく見えました。
今、お台場に残されている 二式大艇を飛ばしたらもっと迫力があると思われます。

大日本航空が、昭和14年4月に横浜~サイパン~パラオの定期航空路を開設したときに 九七式の輸送飛行艇が使われており、この映画は その話を 赤道まで開拓するということで 作られたように感じました。

フィルムセンターは 一度火事で焼け、かなりの映画が焼失したと聞いていますが、この「南海の花束」 にせよ、「愛染かつら」、「新しき土」 など 戦前、戦争中の名画は まだ数多く残されているようです。
小生もときどき足を運びますが、貴兄が在日なら毎回誘いたくなるような映画ばかりです。

阿部基冶    abemotoharu.blogspot.com (07/03/12受信)