硫黄島第2部 (2006/12/17)
硫黄島第2部「硫黄島からの手紙」やっと見てきました。これがハリウッド映画かとびっくりさせられる映画でした。台詞は98%は日本語、日本で作られたアメリカ反戦映画というのが第一印象です。
日本人よりも大東亜戦争当時の日本をイーストウッド監督はよく学んでいて、この映画を作ったことにまず驚きました。
農家の息子が、パン屋の親父が 召集令状1枚で戦場に狩り出され、千人針を持って 水も食料も不足する孤島へ送り込まれる。
そして、愛する家族、父母、妻子への切々たる思いを手紙に託す。
そうした平凡な庶民が 戦争という不条理な世界の中で、死んでゆく。
この姿を イーストウッド監督は、最初に「1944年硫黄島」のタイトルこそあるものの、何時から何時まで戦いが続き、日米あわせて何人の兵隊が死んだということは全く抜きにして、個人、個人の兵隊の苦悩をストレートに描いています。
その戦闘シーンの凄まじさは第1部以上です。
アメリカの物量戦の前で、むなしく精神論だけで 退却、降参も出来ず死んでいく日本兵。
それでも 第1部を見た硫黄島の生き残り日本兵が「あんな紙芝居みたいなものではなかった、見るに耐えず途中で映画館を出た」というコメントが新聞に載っていましたから、これでも実際の戦場を現していないのかもしれません。
それでも、館内では眼を覆ったり、下を向く人も見かけました。
こうした優れた反戦映画が 硫黄島を舞台に出来たことに 何とも言えない感動を覚えました。
しかもそれが 当時敵国だったアメリカ人によって作られたことに 日本人として恥ずかしさすら覚えました。
恐らくこの映画はたくさんの賞を取るでしょうが、貴兄もぜひ1・2部ともご覧になられることをお薦めします。
この映画が封切られた9日に フジテレビが、「硫黄島への郵便配達」というテレビドラマを流しました。
あの手紙を一式陸攻で硫黄島へ運んだパイロットの話です。
これも実話です。 ビデオをとってありますからその内に送ります。
イーストウッド監督も恐らくこのドラマを見ているでしょうが、出来は悪く、中で戦争だというのに ネクタイを締めている士官が出てきて仰天しました。 もっとも新聞では 褒めた視聴者評が載っていました。
もう、今のプロデューサー、ディレクタ-は 戦争を知りませんから 考証がでたらめなのです。
イーストウッド監督の方が余程日本を調べています。
ただ、このテレビドラマの中で 市丸海軍中将が書いた「ルーズベルト大統領への手紙」のことが出てきますが、私は九州の鹿屋の海上自衛隊の資料館でこの手紙のコピーを見ました。 残念ながら ルーズベルトはこの年の春急死し、この手紙を読むことはなかったのですが 内容は素晴らしいものでした。
あの戦争に勝っても アメリカは大変なことを背負い込むことになることを 市丸は見抜いていました。
戦争がどんなに自己主張に過ぎず、悲惨なことは判っているのに、未だに世界で戦争が起こります。
戦争を命じたトップがまず先頭に出て自ら戦うか、その後から兵隊が行くか、トップ同士でジャンケンでもして勝敗を決めるべきです。
大統領も首相も 後ろで旗振りだけしているのは もう誰もついていかないのではないでしょうか。 」
今年はひどい年でした。 まだ年賀状1枚書いておらず、今から大晦日に向けて働き蜂の日々でしょう。 仕事を辞めてもこの状態ですから、来年も思いやられます。 なんとか少しでも健康で もう少し生きてやりたいことをやりたい。 こんな気持ちです。 (06/12/17)
日本人よりも大東亜戦争当時の日本をイーストウッド監督はよく学んでいて、この映画を作ったことにまず驚きました。
農家の息子が、パン屋の親父が 召集令状1枚で戦場に狩り出され、千人針を持って 水も食料も不足する孤島へ送り込まれる。
そして、愛する家族、父母、妻子への切々たる思いを手紙に託す。
そうした平凡な庶民が 戦争という不条理な世界の中で、死んでゆく。
この姿を イーストウッド監督は、最初に「1944年硫黄島」のタイトルこそあるものの、何時から何時まで戦いが続き、日米あわせて何人の兵隊が死んだということは全く抜きにして、個人、個人の兵隊の苦悩をストレートに描いています。
その戦闘シーンの凄まじさは第1部以上です。
アメリカの物量戦の前で、むなしく精神論だけで 退却、降参も出来ず死んでいく日本兵。
それでも 第1部を見た硫黄島の生き残り日本兵が「あんな紙芝居みたいなものではなかった、見るに耐えず途中で映画館を出た」というコメントが新聞に載っていましたから、これでも実際の戦場を現していないのかもしれません。
それでも、館内では眼を覆ったり、下を向く人も見かけました。
こうした優れた反戦映画が 硫黄島を舞台に出来たことに 何とも言えない感動を覚えました。
しかもそれが 当時敵国だったアメリカ人によって作られたことに 日本人として恥ずかしさすら覚えました。
恐らくこの映画はたくさんの賞を取るでしょうが、貴兄もぜひ1・2部ともご覧になられることをお薦めします。
この映画が封切られた9日に フジテレビが、「硫黄島への郵便配達」というテレビドラマを流しました。
あの手紙を一式陸攻で硫黄島へ運んだパイロットの話です。
これも実話です。 ビデオをとってありますからその内に送ります。
イーストウッド監督も恐らくこのドラマを見ているでしょうが、出来は悪く、中で戦争だというのに ネクタイを締めている士官が出てきて仰天しました。 もっとも新聞では 褒めた視聴者評が載っていました。
もう、今のプロデューサー、ディレクタ-は 戦争を知りませんから 考証がでたらめなのです。
イーストウッド監督の方が余程日本を調べています。
ただ、このテレビドラマの中で 市丸海軍中将が書いた「ルーズベルト大統領への手紙」のことが出てきますが、私は九州の鹿屋の海上自衛隊の資料館でこの手紙のコピーを見ました。 残念ながら ルーズベルトはこの年の春急死し、この手紙を読むことはなかったのですが 内容は素晴らしいものでした。
あの戦争に勝っても アメリカは大変なことを背負い込むことになることを 市丸は見抜いていました。
戦争がどんなに自己主張に過ぎず、悲惨なことは判っているのに、未だに世界で戦争が起こります。
戦争を命じたトップがまず先頭に出て自ら戦うか、その後から兵隊が行くか、トップ同士でジャンケンでもして勝敗を決めるべきです。
大統領も首相も 後ろで旗振りだけしているのは もう誰もついていかないのではないでしょうか。 」
今年はひどい年でした。 まだ年賀状1枚書いておらず、今から大晦日に向けて働き蜂の日々でしょう。 仕事を辞めてもこの状態ですから、来年も思いやられます。 なんとか少しでも健康で もう少し生きてやりたいことをやりたい。 こんな気持ちです。 (06/12/17)

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