Monday, November 12, 2007

ハワイのこと(続き)(2007/11/11)

ハワイのこと、貴兄への私信のつもりが載せていただき恐縮、もう少しきちんと調べて書いた方が良かったかも、
というのは、人名などなぜかハワイに行ったら急に頭の中に浮かんできたので、正確かどうかわからなかったからです。

吉川大尉も少尉のような気がしますし、西開地という名前も変わった名前なので覚えていましたが、階級はよく覚えていません。

吉川が森村正という偽名を使い、一等書記官との触れ込みだったのに、アメリカがこんな若い一等書記官はいるはずがないと、最初から疑ってかかったという話は覚えています。

暗号解読は、以前井上氏が太平洋戦争はルーズベルトが起こしたと 「カナダこのごろ」に書かれたように、彼が暗号解読から、日本に戦争を仕向けるように動いたことは、スティネットの「真珠湾の真実」という本を読めば明らかです。

ルーズベルトは大統領になるときに、国民を戦地に送らないと約束したため、イギリスから督促を受けても第二次世界大戦に参加できず、その突破口として、当時日本と戦争状態だった支那の蒋介石を援助しつつ、日本の矛先をアメリカに向けるようにし、真珠湾を攻撃されるのも分かっていて、キンメル米太平洋艦隊司令長官には知らせなかったのです。

キンメルは責任を問われて職を追われ、不遇のうちに亡くなり、家族が名誉回復を訴えて それがアメリカの議会で承認されたのは、つい10年くらい前だと思います。

「リメンバーパールハーバー」 はルーズベルトの一世一代の大芝居、それにアメリカ全国民は乗せられたわけです。

彼は人種差別もかなりひどく、在米日本人が戦前からさんざんいじめられたことは、貴兄もご存じでしょう。
法律まで作って日本人を迫害しました。

ルーズベルトは急逝したため、なにも本人の自白証拠はありませんが、残った文書からは彼の悪行は明らかです。

最近、佐々木譲という作家の本を読みましたが、彼の第2次大戦3部作に 「エトロフ発緊急電」 というのがあります。

アメリカから送り込まれた日系二世のスパイが、1941年11月エトロフ島に停泊していた真珠湾攻撃艦隊の動静を 暗号電報で知らせた話です。

これでも真珠湾攻撃はアメリカでは知っていたはずなのに、何の対策もとられていません。

佐々木氏の あとの2冊は 「ベルリン飛行指令」 「ストックホルムの密使」 です。

前者は、ロンドン爆撃が戦闘機の援護がないためうまくいかないのを嘆いたヒットラーが、日本のゼロ戦の技術を利用しようと ゼロ戦をベルリンに送らせた話です。

1940年の秋に2機のゼロ戦が東南アジア・イラク経由でベルリンまで飛ぶのですが、1機は途中で撃墜され、1機だけベルリンに着陸したのです。

結局、ドイツはゼロ戦は使わなかったのですが、ヒットラーの意向でこの三菱重工との技術提携に関する文書は全部破棄されたため、戦後かなり後までこのことは知られなかったようです。

ベルリンにいた日本のパイロットは その後、ドイツ空軍の教官となり、ベルリンの戦闘で戦闘機のパイロットとして出撃、行方不明になっています。

「ストックホルム」 は 在欧日本人外交官が、1945年、ソ連の日本開戦、アメリカの原爆開発の情報をつかみ、それを日本の外務省に打電するのですが、さっぱり反応がないため、ある日本人に依頼してこの情報を日本まで持ち運ぶことを依頼するのです。

8月の原爆の投下、ソ連の開戦に間に合うタイミングで この密使はシベリヤ経由日本に到着するのですが、例によって、日本はこの情報を無視。

ソ連を仲介する終戦工作を ソ連が中立条約を一方的に破棄して攻め込んでくるまで続けたという お粗末。

こうした本を読んでいると、一つの事実の裏に思いがけないことが潜んでいるので、びっくりします。

ゼロ戦がドイツに提供された話など、ゼロ戦の本を何冊も読んだ小生も全く知りませんでした。

今日は秋日和、また表に出てスポーツクラブで運動します。
歩くより プールで30分泳げば 数倍のカロリーが消費できるので、最近はマシンとプールの併用で体重増防止に努めています。

晩酌のビールが止められないので、運動は欠かせません。

では、また。

阿部基冶

Friday, November 09, 2007

ハワイの印象(続き)(2007/11/08)

(2007/11/08)

今日も、その続きです。

ハワイといえばいろいろな本を読んでいますが、一つは1941年にスパイとしてハワイの日本国公館に送り込まれた吉川という海兵卒の海軍大尉の話です。

彼は真珠湾の米艦隊の動向を調べ、公館から毎日のように軍艦の種類、隻数、停泊位置などを報告し、それは12月7日の寸前まで続きました。

従って、南雲艦隊は 空母が真珠湾にいないことは知っていたわけです。

あの「ハワイ・マレー沖海戦」の映画でも いないことを知っていたようなセリフがあったと思いましたが、あれは偵察機の報告になっていたはずです。
実際に艦に搭載されていた水上偵察機は飛んでいます。

この吉川大尉の苦心の報告も、彼自身が公館館員として入国したこともアメリカは暗号解読で全部知っていた、のが事実です。

なんとも情けない話で、吉川に尾行がつき、電話は全部盗聴されていたというのですから、情けないを通り越して哀れになります。

暗号解読は 1940年にドイツ駐在のの大島大使から、ドイツの情報として日本の外交暗号が解読されているとの話が入っているのに、日本では全く無視したのです。

日本の暗号は全く解読不可能と言われるものだったので、安心しきっていたようですが、戦後、この暗号を作った当人が米軍に 「どうして、あの暗号を解読できたのだ?」 と聞いたところ、黙って人指し指の先を曲げたそうです。

他の本で読んだ記憶があるのですが、この暗号機を作っていた世田谷の建物で、人が侵入した形跡があるのに気がついたが、被害がないと思われたのでそのままになった、との話を読みました。

アメリカのスパイは戦前からかなり多く日本に来ていましたから、その一人にやられたのでしょう。

どうも日本人はこうした情報合戦が苦手なのか、山本五十六の乗機が撃墜されても、暗号は変わらず、遂に戦争終了まで全部話が筒抜けだったのですから、勝てるわけがありません。

それとはハワイのもう一つの話。

ハワイの一番端に、ニイハオ島という島がありますが、そこは12月7日に攻撃した日本の航空機が被害を受けた時の不時着場になっていました。

ここに降りれば、潜水艦が迎えに行くことになっていたのです。

そして、現実に西開地というパイロットのゼロ戦が不時着し、日系二世の人が彼を助けるのですが、なんと潜水艦は 「日本軍人は不時着より自爆するのが普通」 と考え、迎えに行かなかったのです。

西開地飛曹は 結局、島民に囲まれ、ゼロ戦に火を放って二世とともに自決したのです。

この話は、この二世の奥さんが戦後、収容所から解放されてきてから 話を明らかにしたので、かなり知られています。

彼女は、夫が戦争に協力したと看做され、彼女も犯罪人扱いだったそうです。
ニイハオ島は個人の持ちものとかで、7日当日もラジオもなくて 日本の攻撃も知らず、現在も観光で訪れることもできない島です。

今度は、別の話にしましょう。 

阿部基冶
abemotoharu.blogspot.com

ハワイの印象 (2007/11/07)

昨日ハワイから戻りました。

往きの6.5時間は、機中泊で夕朝と2回も食事が出るのでほとんど眠れず、せっかくのビジネスクラスのシートも無駄でした。、

朝7時過ぎにあのヒッカム飛行場につながるワイキキ国際空港に向け、高度が下がるときは、やはり「トラ、トラ、トラ」を思い出しました。

結論から言えば、もう、パールハーバーで頭を下げてきたので、ハワイは二度は行かないでしょう。

ワイキキビーチはホームレスがいっぱい、泳ぐ気などまったく起きず、しかも流行なのか刺青を手、足、背中、胴などほとんど全身にわたりしているものが多く、ペイントかもしれませんが、入れ墨は犯罪人の印と思っている小生には嫌悪感だけ。空港からホテルに行くまでの間に嫌になりました。

パール・ハーバーの海は静かで、アリゾナ記念館をフォード島に望んで、あの66年前の攻撃で命を落とした米そして日の人々に頭を下げ、やっと肩の荷が下りました。

小生がアリゾナ資料館の前で頭を下げていたら、ガイドの日系二世らしい年寄りが「何でだ?」と聞くので66年間気になって今までハワイに来れなかったと言うと、「日本人は律義な人が多い」と笑って言っていました。

そして、「アメリカ人はもう忘れているよ、なにしろ、戦争好きだから……」と。

「それよりも日本人がハワイへ来なくなったら、ここは潰れちゃうよ、ほとんど全部、日本人の落とすお金で生活がなりたっているのだから…」

肩の荷は下りても、複雑な心境でした。

あの、在米大使館の井口参事官・奥村書記官の仕事のサボりから事件は起きました。

野村駐米大使は真珠湾攻撃を何も知らぬまま、1時間も指定時刻を遅れて交渉打ち切り(開戦)の文書を持って行ったのです。

アメリカの大使館で一本指でも英文タイプを打てたのは奥村一人だったというのですから、あきれた外交官です。 タイプの勉強すらせず、高給を取る。まさに役人の鑑ですね。

なぜか、戦後もこの文書手渡し遅れの調査は吉田茂外務大臣は潰しにかかり、外務省を去っていた井口・奥村を呼び寄せ、次官に据え、のちに井口はカナダ・アメリカ大使に昇進、奥村もスイス大使に昇進したのです。
外務省のメンツを第一に考えたとしか思えません。

天皇とマッカーサーが初めて会ったとき、天皇は外務省から言われてか「東條がやった」と説明したそうです。そしてそのときの通訳がなんと奥村です。

自分のミスを東條の所為、と翻訳するときに、良心が痛まなかったのかと不思議になります。

このお陰で、どれだけ日本人が海外を含め肩身の狭い思いをしたことか。
9.11のときも「真珠湾の再来」と言われたのに、日本政府は何も言わず。
外務省が真相を発表したのは、なんと1994年のことです。
戦後、50年たってからです。
ALOHAさんのいう害務省です。

小生を含め、この一事を負担に考えている日本人は少なくないと思います。
小生は頭を下げてケリをつけましたが、律義な日本人はまだ多いと思います。

あと、ハワイで印象に残ったのはモアナルア・ガーデンの「この木なんの木気になる木」です。
日立のコマーシャルというよりも、小林亜星の曲で有名になりましたが、これをコマーシャルに使う発想をした人を褒めたいと思います。
良い木でした。

日本より暖かく住みよい街かもしれませんが、単なる観光地でリゾート地ではないというのが、小生の感想です。

66年間の重荷も下り、次はどこへ行くか計画中、意外と早くまた出かけるかもしれません。
なにしろ、身体の衰えを痛感し、動ける間に旅をしようとおもいだしたからです。 
歳はやはり厳しい、それだけに焦ります。